オナニー依存症と共に生きる

ちゃんと仕事はしていて、家も買えました。でも、暇があればオナニーばかりしています。独身♂です。

オナニー履歴書2(小学1~2年生)

幼稚園の頃と同じように朝晩と布団の中でオナニーをしていました。もう、毎日の習慣になっていて、やめることなんてできませんでした。気持ちよさの虜になっていたのでした。

この歳になると、母親が買い物に行くときは一緒に付いて行かないで、留守番するようになります。その留守番のときに、チャンスとばかりにオナニーをしていました。

友達と外で遊んでいるとき、友達が帰ってひとりになると、公園の奥のほうや駐車場の車の陰でオナニーをしていました。

このときはまだ、寝っ転がらないとオナニーができませんでした。人目に付かないで、寝そべるところがないとオナニーできませんでした。これが歯止めになったのかもしれません。

この頃は勃起していたかどうかの記憶がありません。オナニーの最中は亀頭はずっと皮をかぶったままでした。

オナニー履歴書1(幼稚園)

朝、母親に起こされると布団の中でオナニーをしていました。

「早く起きなさい!」「いい加減に起きなさい!」と母親がキレるまでオナニーをしていました。

送っていかなければならない母親が「早くしろ!」と怒っていたので、小学校でなく幼稚園です。ただ、幼稚園のあいだずっとという記憶はないので、多分、年長のときの記憶なんだと思います。

その歳から、ビクーッと絶頂に達していました。あまりの気持ちよさで、朝晩と布団の中でやっていました。

朝はすぐにイクと時間が余るので、2回やることもありました。幼稚園の頃からオナニーの方法を確立していて、すぐにイッてました。

当時のオナニーの方法は、手のひらでちんちを隠すようにして、ちんちんを下腹部に押し付けながら、円を描くように、または上下に動かす方法です。このときから足ピンでした。

このときはオナニーだとは知らなかったし、エロい気持ちもなかったし、それが恥ずかしい行為だとも思いませんでした。ただ、気持ちよくなれる、良い方法を見つけたとだけ思っていました。

ここからは推測ですが、親に見つかると怒られるので、親に見つからないようにやっていたのだと思います。

足ピンして、手のひらでちんちんを下腹部に擦り付ける方法からして、恐らく床オナニーが初めだったと想像します。海老ぞりしてちんちんを床に擦り付けるなら、足ピンして手でちんちんを下腹部に押し付けても同じですから。手は器用に動かせますから、コツを習得していったのだと思います。

このように、毎日、オナニーで絶頂に達していた幼稚園児でした。

このときは、皮を手で剥くと亀頭が出る、仮性砲撃でした。

オナニーが止まらなくなったのはいつか?

受験勉強をしているときに初めてオナニーが止まらなくなったと思っていましたが、ブログを書きながら過去を振り返ると、もっと前からオナニーが止まらない兆候はあったように思えてきました。

 

幼稚園の頃、朝のオナニーでイッても、母親が起こしに来るまで、2度3度とやめられなかった。

小学生の頃、母親が買い物に行った隙にオナニーをしていました。1回イッてもやめられず、「もう1回」と何度もやって、カチャという玄関を開ける音を聞いて慌ててオナニーを途中でやめていました。

小学校6年生の頃からグラビア見ながらオナニーをしていましたが、時間がある限りはやっていました。学校もあるし、寝ないといけないから上限があっただけで、もっと時間があったらもっとやっていたかもしれません。

受験勉強をしようとするとオナニーしたくて堪らなくなった。

一人暮らしを始めたら、誰の目も気にしなくてよくなったので、一日中オナニーをするようになった。

 

こんなふうに、かなり幼少の頃からオナニー依存症だったような気がしてきました。それが、だんだん酷くなっただけだと思えてきました。

 

このあと、大学生になって、

学校さぼってオナニーをする

オナニーが止まらなくてなって約束の時間に遅刻する

など、最悪の症状に陥っていきました。